たりないあたまでかんがえる

たりないあたまでかんがえてみた。車輪の再発明。

大学院進学をオススメはしない

人文社会系の大学院に進学して一年経った。修論提出が目前に迫る。しかし原稿は進まない。眼前に迫り来る〆切から目をそらしながらこのような駄文を書いている。本題は1点。人文社会系で日本の大学院に進学してみたが、オススメはしないよ、というそれだけだ。なぜか。

 
この選択を自分は一切後悔していない。良いことしか基本的には起きていない。
 
であればなぜこのようなタイトルなのか。
であれば、こそなのだ。
とりあえずこの2年を振り返ってみよう。
 
ものすごく濃密な時間を過ごした。切磋琢磨する同輩もたくさんできた。先輩方にも大変お世話になっている。師匠との関係も良好であり、時には厳しく時には優しく指導をしていただいている。大学院外の研究会や勉強会などでも得難いさまざまなものを得た。あとで読み返して恥ずかしくなるかもしれないが、こんなに楽しく苦しめるとは思っていなかった。これ以上は修論を書き終わったあとに、謝辞に書くとしよう。
 
研究環境だけでなく経済的な面でもおそらく非常に恵まれている 。親の所得の関係で、光熱費含め月2万円で住める寮に入り、学費も全額免除されている。(今期だけ失敗したが……)
母校でTAをさせてもらった。来年もまた二学期間TAをさせていただくことになっている。なので、親からの仕送りはほとんど無しで生活できている。(今学期の授業料だけ借りたが……)
 
だからこそである。だからこそ、オススメできない。この奇跡的としか言いようのない状況は、どれか一つでも欠けていたら今のように能天気に大学院に来てよかったと言えていただろうか。
 
寮に外れていたら、学費が免除ではなかったら、TAがなかったら……。経済的な面ならば、まだ自分の場合は親が存命なので泣きつけばなんとかなるかもしれない。あるいは奨学金を増やすなり、学生ローンを借りればまだなんとかなる。
 
問題は研究環境である。もしも、師匠との関係が悪かったら、夏ごろにテーマを何度も突き返された際に鬱になっていたら、やる気のある同輩がいなかったら、先輩に進捗報告会や研究会に誘われていなかったら。もしかしたら、増田に大学院死ねと書いていて流行語大賞を取っていたかもしれない。大学院辛いの私だ。
 
実際、日本の院に行った大学の同級生を見ると、指導教官との関係性や、コミュニティに馴染めたか否かで、進路選択の満足感に大きな差があると感じる。自分の環境も絶妙なバランスで成り立っていて、いつ危うくなるかわからない。とにかく重要なのは、良い同輩や先輩を見つけ、彼らと助け合うことだ。研究に限らず自分の問題の多くは、彼らも経験している。また逆に彼らの問題の多くは自分も経験している。互助的な機能を有するコミュニティに参画できるか否かはとても大切なことだ。大学院での研究においても、精神衛生においても、生活においてもだ。指導教官とそりが合わなくても、最悪ほかの場所で研究の話を聞いてもらえればいい。
 
そもそも1人で研究ができないから大学院という場所で学びに来ているわけで、1人でなんでもできるならば大学院に行く必要はないだろう。
 
では、どうすれば研究環境が恵まれたところに行けるのか。ある程度は運に左右されるが、勉強会を開いているところ、互助的な伝統があるところ、などなど。しかし良いのは実際に話を聞き、そこに潜り込むことだ。院生の勉強会ならばおそらく意欲ある学部生が来れば歓迎されるだろう。
 
院進学に悩む人がこれを読むかはわからないが、もしも私のいる大学院の様子を知りたいというのであれば、1月16日以降なら話を聞くし、相談に乗るし、人を紹介する。
 
さて、現実(修論)に戻らねば……