たりないあたまでかんがえる

たりないあたまでかんがえてみた。車輪の再発明。

反省とともに

私は大学でなぜ勉強しなかったのだろうか。慚愧の念とも、反転したスノビズムともつかぬようなこの思いに取り憑かれることがある。

 

大学時代、私は本当に勉強しなかった。自慢げに語ることではない。また、堂々と発話すべきことではない。後悔が少しでもあるなら、いま一所懸命に学べば良いではないか!学ぶべきところにいるのだから!そう叱咤する声も聞こえる。

 

しかしまあ、そんな正論に耳を傾けるような人間であれば、もう少しは学んだことだろう。耳順は未だ来ず。であるなら、学ばなかったわけを、いま少し考えてみたい。これは私による私のためのセラピーとも自己分析ともつかない何かであり、それ以上のものにはなり得ない。

 

最初に思い浮かぶのはやる気の問題である。勉学に対してやる気がなかったのだ、と言えば十分理由にはなる。問題はやる気のエコノミーであり、実際、思い返すと少しばかりサークルのようなものに傾注していた。勉学の方に割くエナジーが足りなかったのだろう。

 

しかしながら、問題は奥にいっただけだ。なぜ、勉学でなくサークルや友人との徹マン等の遊びに注力したのか。

 

一つの答えを出したい。それは、立ちすくんだからだ。上京し、専攻をいくつも選べ、どのようなひとにもなれると誘惑する大学の制度に、私は立ちすくんだのだ。

 

いま、たまたま社会学のようなものをやっているが、それは消極的に選びとられたに過ぎない。講義を適当に取り落とし、成績もボロボロで唯一受け入れたのは社会学と、選考に用件がなかったいくつかのメジャーだけだった。端的にそれだけだ。なぜ選んだかのストーリーは作ろうと思えば作れるし、そのように話したこともあるが、まあこんな感じだ。

 

何をすべきか、何をできるか、何が本当にしたいことか、ありとあらゆる(というように見えた)可能性の前に、可能性に飢えて上京したはずの私は立ちすくんでしまった。あるいは今もまだ立ちすくみ続けている。階段の踊り場で延々とステップを踏み続けている。

 

自己の芯にあるものがはっきりとした形を持ち、その現実化のために今を燃やす人は幸いである。私は、そのような人であった試しがないのだ。今でさえ、この道でよかったのだろうかとクヨクヨして涙ぐみながら生きている。

 

だが、そこまで後悔しているわけではない。時間と人がある程度可能性を制約してくれた。地元にいた時は打破すべき鎖としか思えなかったこの制約というものは、立ちすくむ人を無理やり前に押し出してくれる。だからこそ、今ここで文章を書いているわけだ。とはいえ、またもや少し壁にあたり、へーこら言っている。前も後ろも向かず、適当なところをチラチラ見ながら雑に生きていきたいと思う。可能性のなさにも豊饒さにも殺されないように。