たりないあたまでかんがえる

たりないあたまでかんがえてみた。車輪の再発明。

青梅を歩く①

およそ一年ほど前に友人と一緒に青梅の一軒家に引っ越した。シェアハウスの理由はいろいろあるが、そのあたりは割愛する。とにかく、東京の中心に出るためには、一時間半から二時間はかかるような、この辺鄙な地に住み始めて、ようやく慣れてきた頃合いだ。

引っ越してから、そして今でも、よくこの街、いやこの土地を歩いている。夜の八時をすぎると、街灯も少なく、車の音もほとんどしないこの土地を、しんとしてすれ違う人もほとんどいないこの土地を、まるで踏みしめるかのように歩いている。拇指球から感じる反撥を受け止めながら、ここが自分の住む場所なんだと確認するかのように、青梅駅までの道をよく歩いている。

 

しばらく前に、鹿を見た。

場所は、家からしばらくのところにある、登り坂を上がり切り、少し下って、勝沼神社の狛犬を右手に見える道のところで、鹿を見た。

一応、形式的には東京都に含まれるはずの地で鹿を見るとは全く思わなかったので、それを小さい女の子がバカでかい犬を連れているように見えた。不気味な光景だと感じたあと、それにしてもでかい犬だなあと目を凝らせば、それは鹿だった。鹿を連れている少女!?と横に目を転ずれば、それも鹿だった。2匹の小さい鹿と大きい鹿を、犬を連れた女の子と見間違えたのだ。

いや、見間違えたというよりは、脳がそのように処理したと考えるほうが正確だろう。夜中の十一時を過ぎて、あたりもほとんど光なく、シルエットからイヌと少女を整合的な解釈として脳が作り出したのだろう。四足の獣はおそらく大きな犬で、隣に見えるパタリと倒れた耳をつけた子鹿のことを、おさげの女の子だと認識したに違いない。この話を誰にしても信じてもらえないと思って、慌てて写真を取ろうとしたら、左手にある雑木林のようなところへと、二匹連れ立って跳ぶように駆けていった。

この鹿にあった道は、とても長い下り坂だ。ということは、上るのが厳しい急勾配でもある。初めて、物件の見学に来たときにはこの坂を登ったのだが、寒い冬のはずなのに、息が上がり、心臓の拍動が強くなり、こんなところ住むわけねえよとグチを叩き合っていた。たしかそのときに腰の曲がった老人が同じ急勾配をカクシャクと歩いていて、腰の曲がり方と傾斜から、まるでマイケル・ジャクソンのゼログラビティのように見え、息を切らして歩く自分たちとの差に愕然としたのち、この傾斜に耐えられる人間が残りそうでない人は淘汰されているのではないかと少しの恐怖を覚えたのだった。だが、結局そこに住んで、いまや坂に慣れ親しんで息も切れないのだから、われわれもゼログラビティの住人になったのだ。人生はどう転ぶのかよくわからない。

話を戻そう。鹿とあった場所をさらに下っていくと、坂の終わりに青梅線の踏切がある。東青梅ー青梅駅間の電車だ。どうやら一車線にするみたいで、暫く工事をしている。夜、踏切を待つときに、電車が通過するのを眺めると、あたりの暗闇を切り裂くように、あたりの静けさを切り裂くように、電車が横切っていく。ほとんどの場合、そこに人はほとんど乗っていなくて、回送列車じゃねえのか?と見間違える。

踏切を渡ると、青梅基準ではとても大きな道路につく。そう、旧青梅街道だ。道路まで来て振り返ると、勝沼神社表参道と書かれたバカでかい石碑があるのが見えるだろう。そう、不釣り合いにバカでかい。不必要なくらいに大きいし、石碑はほかのところにもなんかたくさんあるのが青梅の特徴だ。

このクソデカ石碑を見て、いままで来た道は、勝沼神社への表参道だったわけだと気づくが、だからといってとくに感慨もない。余談だが、この間、郵便物を出しに、平日の昼間にこの表参道を降っていたら、引率の先生と中学生か高校生の集団とすれ違い、大きな声で挨拶をされたのだが、たぶんあれは不審者を見たら挨拶をしようという威嚇としての挨拶だったと思われる。表参道の石碑を背に、右に曲がると青梅駅に、左に曲がると東青梅駅につく。およそ、この表参道の入り口のあたりが、青梅駅東青梅駅の中間地点になる。さて、いつもの通り、特になにも目的もないままに、青梅駅までの散歩をしていこう。