たりないあたまでかんがえる

たりないあたまでかんがえてみた。車輪の再発明。

闘病?日記20240525-6

今日は何もしなかった。といいつつ、カロリー制限と禁酒はなんとかクリア。今日くらいは超えてもいいかと魔が差して、コンビニで色々買おうとしたが、なんとか思いとどまった。


朝起きて二度寝して、昼にまた昼寝した。銭湯に行き、スッキリした後、また寝る。疲れが猛烈に溜まっていたようだ。


明日は、洗濯して、常備菜を作ろう。


書くことがないから、今日はこれで。


20240526


昨日は流石に書くことがなさすぎたので、とても短くなっていたから、日曜日の分とまとめることにした。こういう完璧主義が顔を出すのも良くないから、こんな日でもアップしたほうが良かったのかもしれない。スリップはしていない。


今これを書いているときは日曜の昼だが、洗濯をして、ぼやっとベランダを見ながら外を眺めている。布団を洗って干した。


プロセスに耽溺すること、過程を楽しむこと。淡々とこなしつつ、快を覚えるように暮らすこと。「洗濯物を干すのもHIPHOP」(My Life)、というzornの有名なリリックがあるけども、日常生活の美学化やスペクタクル化とはまた違う、日常生活そのものの快を、リズミカルに詩学化すること、ここに賭けられている。何が?俺の生活の充実が。あるいは政治的なものが?


生活そのものが、断ち切られぬ限り、延々と飽きても泣いて叫んでも続いていくこととどう向き合うかを考えている。これまで飽きに抵抗しようと、何かをする意思を補充するためにモンスターエナジーなどのカフェインと糖分の爆弾をたくさんとり、自身の知覚を変容させようとアルコールを取り、無聊を慰めるため、空白に食事を突っ込む生活を続けてきた。おそらく、リズムが必要だ。上からのリズムに付き従い行進するのでなくて、即興的にリズムに乗り、新たなリズムを作っていくような、生活のリズムを与えることが。


久しぶりにラーメンを食べた。後輩からの九州土産。美味すぎる。美味すぎてスープまで完飲したが、たぶん塩分過多で頭が痛くなった。頭痛と塩分過多を結びつけたことがなかったのだが、多分そうだと思われる。塩のとりすぎは良くないなあ。


鶏むね肉のコンフィ、むね肉のタンドリーチキンの仕込み、ささみの大葉ポン酢、山形のだしっぽいやつ(YouTubeの漬けたやつを参考にして作っている)を仕込んだ。夕飯は、それらではなく、登米のだしでかけそばにした。


マ・ドンソクの出ている映画を2本、調理中と飯を食べているときに見終えた。「犯罪都市」と「悪人伝」。面白かった。マ・ドンソクのマ・ドンソクっぷりが最高である。半ば冗談で言ってるんだけど、数年かけてこんな体型になりてえ。今回見たノワールの2作品では、銃がほとんど出てこなくて、刃物や鈍器が多い。韓国の裏社会自体がそういう感じらしいんだけど、この辺、識者求む。あとは、暴力の表象として、刃物(切るもの)と、銃(穿つもの)のテマティックな批評があれば読みたいなと思う。切り傷と弾痕は、明確に暴力描写や暴力を受けた身体の描き方が明確に変わってくる。自分が、暇になったらそういう読解をしても良い。


暇になって何かを口に入れようとする前に散歩に行くことにする。