たりないあたまでかんがえる

たりないあたまでかんがえてみた。車輪の再発明。

砂漠とオアシス

砂漠にいる。なぜだかはわからないが、砂漠を歩いていた。いまがいつで、ここがどこか皆目わからない。時間も方角も何もわからない。振り返ると足跡も消えていた。自分を証だてるのは、飢えと渇きのほかになにもない。耐え難きほどのそれが、無理やり足を動…

青梅を歩く③

青梅街道を一本入った七兵衛通りを、青梅駅を過ぎてしばし歩いていくと、交差して、陸橋がかかった比較的車通りの多い道路がある。この道路の名は調べてもよく分からなかったのだが、今日はここを歩いてみよう。右折する。この道路は、山と山の間を無理やり…

青梅を歩く②

無意味に大きい勝沼神社表参道の石碑を右手に見ながら、旧青梅街道を歩き始める。裏側を見ると、どうやら昭和62年に昭和天皇の60年の治世を祝して建てられたもののようだ。だが、この裏側を見る人も、そもそも、この石碑を見る人がどれだけいるのだろうか。 …

青梅を歩く①

およそ一年ほど前に友人と一緒に青梅の一軒家に引っ越した。シェアハウスの理由はいろいろあるが、そのあたりは割愛する。とにかく、東京の中心に出るためには、一時間半から二時間はかかるような、この辺鄙な地に住み始めて、ようやく慣れてきた頃合いだ。 …

文学との距離

かつて、酒の席で、尊敬する不埒な友が、祖母の死を契機に文学に向かったのだと漏らしたことに、私はひどく驚いた。なぜなら、極めて対照的な事態が自分の過去に生じていたからである。 祖母の死という出来事は、私から文学を遠ざける作用をしたのだ。私は文…

「喧嘩稼業」連載再開しろ

異世界転生した。ソファーにもたれかかったら、ボツリヌス菌が付着した針が刺さっていた。寝てるうちに、白い空間に通されるなんてこともなく、ナーロッパとも揶揄される、スキルとかレベルとかある都合の良い異世界に行くこともなく、俺が生まれ落ちたのは…

一生朝井リョウ読めないボーイ

朝井リョウ この名前を出すだけでも、心臓の近くがキリリと痛む。いや、読んだこともないし、完全な赤の他人だし、今後も読むことはないだろう。ただただ、ひたすらに、意識をしている。おそらく皆さんも、多感な時期に一切話したことない人間を、勝手に好き…

古墳に行っても"覚醒"しなかった

群馬に観光に行ってきた。 SNSでおすすめの観光スポットを尋ねたら、友人に古墳を勧められたのでそこに行くことにした。 むろん、80年代、オカルト伝奇ファンとしては、古墳に行く="覚醒"という心算である。 12時前に仕事が終わり、とりあえず古墳へと向か…

メルヘンハウスに育てられて

多量の本を所構わず餓鬼のように摂取してしまうぼくの業は、メルヘンハウスのブッククラブにより作られたと言っても過言では無い。責任を取っていただきたい。しかし、悲しいことにメルヘンハウスは閉店してしまった。 メルヘンハウスというのは、子どもの本…

迷う

道に迷うことが好きだ。大学院の博士後期課程という当て所ない迷い道にいることを自己肯定するための修辞的な比喩表現ではなく、わけわからん場所で、適当に道を進んで、どこにいるのかわからなくなり途方に暮れる感覚が好きだ。私はよく道に迷う人だ。これ…

バチバチ

今更だが、バチバチという相撲漫画、いや少年漫画の大傑作がある。いや、あった。それは突然終わった。打ち切りではない。雑誌の休刊でもない。 であればどれだけよかったことか。終ったのだ。永遠に続きは描かれない。作者急逝による絶筆である。 連載の当…

本当に困っている人は良いんだけど……

社会的なものが、ー多くはヘテロ健常者男性に限られようともーさまざまな仮象を経由して、見知らぬ同胞との連帯を可能にしていたのであれば、それを鏖殺してきたこの国で、他者との連帯は、相互監視による危害の抑止にまでおしとどめられよう。相互監視によ…

笑われることも笑わせることもなく--映画JOKERについての試論⑴

「笑われてやるんじゃなくて、笑わしてやるんだ」という深見千三郎の芸人としての生きザマは、オイラの生理と感性に合っていて大いに感化させられた。 (ビートたけし,1992,『浅草キッド』新潮文庫版) かつて多くの喜劇役者、コメディアン、作家を輩出した…

無内容な

論文とかお堅いものを読んで書いたりしていると、頭がカチコチになる。知識は自由をもたらすという信念には同意するのだが、一方で真理を追求することに付随したさまざまな文体に取り囲まれて、すぐに論理的な関係が気になり、ふわふわとした、面白さや気持…

良いこと

寮の周りを深夜友人と散歩していたら、身なりのそこそこ整った老人に声をかけられた。老婆は府中の伊勢丹までの道を聞いた。瘋癲の輩、2人にである。朝四時のことだ。当然不審だ。不審な姿をしている不逞の輩に声をかけざるを得ない老婆に対して、不審の念を…

ある街の横顔に浮かぶ人工島⑴

地元は古くからの漁師町だ。年中磯臭い風が吹く。実家は海まで徒歩5分ほど。小学校の通学路では、海のほど近くを歩いていた。潮風に巻かれ、赤潮の匂いに顔をしかめながら、海を身近に生きていた。 その海に人工島が作られたのは、思春期が始まったくらいの…

明けまして

あけましておめでとうございました。年初めに目標とか去年の振り返りを書こうかと思いつつも、何を書くべきかよくわかりません。だから、去年のことを書こうと思います。 去年の思い出は楽しいことも悲しいことも、なんとも言えないことも、誰かと分かち合い…

ペッパー君

携帯が使い物にならなくなったので、替えることにした。そのため、何回か携帯ショップに行くことになった。そこで見たのは、暴力的なまでに複雑な契約内容と、なんとかして少しでも店舗に有利な契約を、慇懃な笑顔で結ばせようとする、おそらくは非正規の店…

嫌いの話

嫌いを分解しないようにしている。 嫌いなモノはひどく多い性質だと自負している。おそらく、好きなものよりも嫌いなものの方が多いだろう。圧倒的に。しかし、だからこそ気をつけていることがある。それは、嫌いを分解しないことである。つまり、嫌いを分節…

「ぼく」という一人称について

世界に特に意味のない文章を公開しようと考えたときに、即書いて公開できるというのは、マクルーハンの言う(今日読んだ)電子メディアの時代の良さだろう。その結果、世界がムラと化しても構わない。そんな気がする。 書きたいのは伊藤計劃のことだ。いつだっ…

反省とともに

私は大学でなぜ勉強しなかったのだろうか。慚愧の念とも、反転したスノビズムともつかぬようなこの思いに取り憑かれることがある。 大学時代、私は本当に勉強しなかった。自慢げに語ることではない。また、堂々と発話すべきことではない。後悔が少しでもある…

工場での日々

告白というほどのことではないが、私は大学を正規の就学年数で卒業していない。その理由はただ怠惰が故である。 大学を卒業したのが2014年の6月だった。 3月に卒業できない、つまり四年で卒業できないというのは、三年生の終わりにわかっていたことだった。 …

大学院進学をオススメはしない

人文社会系の大学院に進学して一年経った。修論提出が目前に迫る。しかし原稿は進まない。眼前に迫り来る〆切から目をそらしながらこのような駄文を書いている。本題は1点。人文社会系で日本の大学院に進学してみたが、オススメはしないよ、というそれだけだ…

デマを流すあなたへ

5年前の3.11からしばらくのあいだ、とあるSNSで、真偽不明な情報を発信し拡散させ、あまつさえそのことを正当化していたあなたへ。あなたの拡散した情報の多くはデマと呼ばれるものでした。 私の主張はシンプルです。 大きな災害のとき、感情に突き動かされ…

母校と呼びたくない高校での日々

本好きで空想がちな少年期を生きて、そのまま思春期、青年期へと移り変わっていく中で、お前は地に足が付いていないとよく父親に叱られた。それは愛ゆえだったのだろう。今も地に足はついていないが、地に足をつけることの重要性を理解できるようにはなった…

三島邦弘2011「計画と無計画のあいだ」河出書房新社

「厳しい出版不況」を、ミシマ社(車)が野生の感覚でサバイブしていく様子が、底抜けに明るい調子で語られる。 ミシマ社は、事業計画もなく、社長は決算もエクセルの使い方もわからず、社員は領収書の書き方を知らず、年間刊行点数も決まっておらず、運転資…