たりないあたまでかんがえる

たりないあたまでかんがえてみた。車輪の再発明。

闘病?日記20240523

高松空港羽田空港行きの飛行機を待つ間にこれを書いている。ただただ疲れた。ホテルの慣れないベッドだと全然ねられない。ただこの不眠は、睡眠時無呼吸症候群の可能性もある。昨日、一緒に飲んだ(俺はノンアルコールビール)、「取引先」の人が重度の睡眠時無呼吸症候群で、CPAPを使い始めて、ものすごく体調が改善したらしい。同じ話を、別のタイミングで二人の友人から聞いていて、俺もめちゃくちゃCPAPを使いたくなった。これは最近使い始めた友人に向けた私信だが、そのおじさんいわく、使い始めは外しがちだが、慣れてくるとむしろつけてないと落ち着かないようになるらしい。俺も精神科行って眠りの問題を相談しようと思う。ああ医療費がかさむ。

 

地元で生きる人間の、土着性を持った強さを感じた出張だった。自分は上京して脱出してしまったから、どこか負い目を拭い去れない。しきりに歩いて、あるいは自転車に乗って回り、ゲニウスロキを足元から感じようとするのも、己の地霊を裏切ったことの代償行為のように感じる。俺はコスモポリタンにはなれない。だが故郷を離れるほかなかったデラシネである。

 

うどんは美味しかった。特に地元の人が美味しいと言って紹介してくれたお店は最高だった。だが、塩分がやばい。出張先の先方にいろいろもてなしてもらったので、どこかできちんと返さねばと思う。互酬性、あるいは競覇性を持ったポドラッチ。仕事を通して、より深く贈与を考えなければならない。結局のところ、自分は研究から逃れることができない。

 

そう言えば、自分の論文が載った論文集がそのうち出るはずなのだけれど、その論文集の他の論文で(未定稿だが)、自分の論文が参照されていて、しかもそれが、著書を読んでいて尊敬する方々だと、身が引き締まる思いになる。

 

健康について、特に考えずとも習慣化されるように、さっさとなりたい。それがこの日記の終わるときだ。