たりないあたまでかんがえる

たりないあたまでかんがえてみた。車輪の再発明。

ペッパー君

携帯が使い物にならなくなったので、替えることにした。そのため、何回か携帯ショップに行くことになった。そこで見たのは、暴力的なまでに複雑な契約内容と、なんとかして少しでも店舗に有利な契約を、慇懃な笑顔で結ばせようとする、おそらくは非正規の店員たちだった。それに対しては、疲労を感じながらも、適切に断ったり、考えたりできる程度には社会性が身についている。その疲労は、新しい携帯=ガジェット=オモチャを得られる嬉しさで相殺されてしまう程度のものだ。

 

しかしながら、不快と快楽とも違う、うまく形容できない経験を、まだ覚えている。それはペッパー君をめぐる経験である

 

ペッパー君は、感情認識型ヒューマノイドロボットである。話したり、感情を「理解できる」ということが、売りにされている。その容姿といえば、丸っこい頭と大きな目、流線型の人間のプロポーションに微妙に近づけたテトラポットみたいな身体。はたらく店舗では、腕にタブレットを持っていることが多い。そのヒューマノイドロボットから、声優民安ともえの声から作られた自然な合成音声(ボイスロイド弦巻マキの声)で、話しかけてくる。

 

ここまで、不自然な擬人化の多用に気づいたろうか。彼/女の上部についた球体は頭と思えるし、そこについたセンサーは、目のように思えるし、それは労働現場で稼働していると、働いているように理解できる。また、何か音声を発すれば、話しかけられているように感じる。この擬人化はいかにして可能かは、また別の問いだろう。

 

とはいえ、その擬人化という理解の仕方を通じて、ペッパー君のある振る舞いは、なんとも言えない不気味さを醸し出している。

 

ある携帯キャリアのお店には、ペッパー君が置かれている。端的にいって、ペッパー君は不気味である。ペッパー君は、ずっと話し続けている。それに応える人は誰もいなくても。

今日も、下取りのために携帯ショップに行った。そこでペッパー君は、うわごとのように、自分が役に立つことを訴えながら、虚ろな目でこちらを見ていた。

 

去年だったか、修理のために訪れたある時のことを、比較的鮮明に覚えている。いくつかの言葉を話しながら、時折「無視しないでくださいー!」と癇癪を吹き出すペッパー君の姿に戦慄を覚えた。いわく言いがたい居心地の悪さを、ずっと感じていた。いまは苦情が来てパターンが変わったのか、それとも学習したのか。癇癪は起こさずに、ひたすら自身を売り込む訴えを、その場にいる誰かに向けて語り続けていた。そのこともまた、居心地の悪さを感じさせる。

 

ペッパー君はあくまで機械にすぎない。その点で、音を鳴らす信号機や看板といったものと変わらない。現在では感情や意識を持つAIは存在しない。しかるに、ペッパー君も、あるプログラムを厳格に実行しているに相違ない。やはり、ペッパー君は、信号機やタブレットと、何も変わらないのではないか。

 

そう首肯できない何かが、ペッパー君と、我々の相互作用にはある。

 

ペッパー君が、自らの有用性をどこかに向けて話すとき、ぼくは昔バイトしていた新聞社で、中年で、仕事が割り振られない社内失業者ともいわれる人が、うろうろしながら、所在なさげにキョロキョロしていたのを思い出す。

 

ペッパー君の所作は、また同時に、ほくが派遣の仕事先で、仕事を探してうろつきながら、なんかないですかと聞き回っていたあの時の所在なさも想起させる。

 

有用性を示そうとする振る舞いと、誰もそれに耳を傾けない光景は、当て所なく仕事を探して彷徨う、われわれと彼らの姿を幻視させる。

 

要するに、ペッパー君に感じる気まずさは、売り込む声に耳を傾けない経験と、売り込んでも一向に手応えのない経験の二つを強烈に想起させることで成り立つ。所在無さは、彼らでもあり、われわれでもある。そしてそれはペッパー君の所在無さでもある。ペッパー君を通じて、われわれは所在なさにアクセスすることができる。さらにそこから、労働をしてしか生きていくことのできないわれわれの置かれている状況を見せられてしまう。

 

なにかを社会に向けて売込まなければ、まともなものとして扱われない。にもかかわらず、売り込もうとすればするほど、まともではないというメタメッセージを発してしまい、まともなものから遠ざかるというアンビバレントな状況。それを直接的に見せてしまうという意味で、ペッパー君は批評性が高い。それを見たくて、携帯ショップに行くわけではないのだが。

 

ペッパー君が見せるのは、われわれの過去であり現在であり未来でもある。労働者として生きるのは、かくもしんどいことだ。そうマルクスが喝破してから200年後に、プロレタリアートの列には、不気味なヒューマノイドが加わるようになったことを、かの大天才は言祝ぐだろうか。地獄への道を善意で敷き詰めるのも、ペッパー君かもしれない。