たりないあたまでかんがえる

たりないあたまでかんがえてみた。車輪の再発明。

文学との距離

かつて、酒の席で、尊敬する不埒な友が、祖母の死を契機に文学に向かったのだと漏らしたことに、私はひどく驚いた。なぜなら、極めて対照的な事態が自分の過去に生じていたからである。

 

祖母の死という出来事は、私から文学を遠ざける作用をしたのだ。私は文学を選ばなかった。文学も私を選ばなかった。そのことに不満はないものの、なぜ私は文学を選ばず、選ばれなかったのかについて考えてみたいと思った。

 

私が文学を選ばなかったのは、最も強度の高い言葉がただの音として、反復され流通しうる意味としては結晶化しないのだと感じたからである。それはまた、これまで、そして現在でも、自分の吐く言葉の空虚さを思い知ったからでもある。祖母が死んだ時、私は嗚咽とともに、あゝという音を吐いた。それのみが真正であった。

 

祖母の死を枕に、高校の時書いたスピーチ大会の原稿が、今もまだ残っている。その原稿は若気の至りもあり詳述を避けたいが、徹頭徹尾だれかの言葉のコラージュであるという印象を抱かせてしまう。そこでは、なぜか私はサルトルの人は自由の刑に処せられているという言葉をひどく大事そうに引用していた。尊敬する不埒な友はたまたまサルトル研究者なのだが、彼に読ませればおそらく鼻で笑われるだろうし、それだけでなく、私は当該箇所を含むサルトルの著書を読んでいないのだ。思うに、いまだその時の経験を消化しきれていなかったのだろう。そして今もまだ、そこに立ち止まる自分自身がいるのを感じる。こうした饒舌に語る裏で、実際に人と話す自分もペラペラと良くいろんなことを語るんだが、そのことは何か本当に正しいものから、直視したくない真実から心を離そうとする賢明な努力のように思える。論文などとは違い、iPhoneのフリックでおよそ自動的に吐き出される言葉を紡ぐことは、触知し得ないにも関わらず、それを求めるような自分の心にある何事かをセラピーするような振る舞いだ。

 

私は何も語れない。そのことの裏返しにある無数の言葉が、私にこうした散漫な叙述をもたらす。

祖母が死んだ時、肺腑から押し出された息があゝという音として自分の耳に響いた。悲しみのあまり離人症的な状態になるままに、私はその音を他人事のように聞きつつ、これこそが本当に初めて自分が誰からの受け売りでもない真正な言葉を吐いたのだと思った。だがこれは物語にもならないし、少なくとも現在の自分でも、それを適切にエミュレートできるようなストーリーや詩を書けない。

 

文学なるものについては、離れてしまいそこに辿り着けなかったので良くわからないのだが、おそらく、このような真正さに関わるような側面はあるように思う。ひどくナイーブで、にも関わらず唯物的な、真理の次元を文学を通して考究しようとすることが、自分にはできなかった。