たりないあたまでかんがえる

たりないあたまでかんがえてみた。車輪の再発明。

古墳に行っても"覚醒"しなかった

群馬に観光に行ってきた。

 

SNSでおすすめの観光スポットを尋ねたら、友人に古墳を勧められたのでそこに行くことにした。

むろん、80年代、オカルト伝奇ファンとしては、古墳に行く="覚醒"という心算である。

12時前に仕事が終わり、とりあえず古墳へと向かうバスに乗った。ウキウキである。近くの中華屋でラーメンランチを食べ英気を養った。最寄りのバス停からおよそ徒歩10分ほどだろうか。照りつける日がじりじりと、引きこもり生活でなまった身体を、ウェルダンに焼き上げていく。でも心は踊りださんばかりだった。

 

ようやく、自分は「世界の神秘を守る財団(仮)」に就職できるのか。これで、ようやく、郷里で30にならんとする息子を心配する両親を安心させることができる。やっと、"チカラ"を解放できるんだ、と。

一般的に、古墳で得られる体験といえば、やはり精神生命体として遺跡に残された古代人との魂の交流だろう。

これまで書物で読んだ知識をまとめれば、以下のような体験ができるはずだ。まず、古墳の領域に入った瞬間に、デジャビュや頭痛が発生し、前世での因縁が仄めかされる。次に、古墳の碑が読めることに気づき、唐突に、古墳に棲む古代人の精神世界に引き摺り込まれるのだ。知ってる。伝奇小説に書いてあったから。朝日ソノラマは裏切らないんだ。

あとはまあ、なんやかんやあって、こう、オカルト的なパワーに覚醒しかけで鼻血とか出る中で、怪しげな黒服を着た"組織"に襲われる。そして、ピンチになるものの、よくわからんパワーで撃退する。もしくは、「世界の神秘を守る財団(仮)」が駆けつけて、撃退してくれる。

むろん覚醒時は力が欲しいかと呼びかけられるだろう。カモン・ジャバウォッキー!ここまでの流れ、だいたいスプリガンで読んだから知ってる。たのむ、進研ゼミの販促漫画みたいなノリで、オカルトバトルに巻き込んでくれ!これ、スプリガンで読んだから知ってる!ってなってくれ。

これに類する独り言をマジで言いながら、俺は前方後円墳をきっちりとまわっていた。コロナ禍ということもあり、ほとんど観光客はいない。犬の散歩をしてる近所の人がぽつりぽつりといるくらいだ。

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俺はいきなり落胆することになる。一つ目の古墳を回ったときには、光に包まれたり、いきなり脳に直接話しかけられたり、急に変な部屋にワープしたりとか、そういうのはなかったのだ。いつきてもいいように準備してたのに……

ただ、ふつうに、景色も説明文も、色々良かった。

でも、"覚醒"はしなかった。

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大丈夫、古墳は後二つあると自分を奮い立たせる。

しかし、二つ目の古墳をまわるときに、ふと重大な事実に気づく。自分はもはや30近い。これはもう闇狩師の九十九乱蔵よりも上の年齢だ。もはや、"適合者"として選ばれ、世界の神秘を知り、闇の世界と戦い続けるにはきついんじゃないか。公務員試験もギリだし、野球選手ならベテランと呼ばれている頃合いだ。命がけの戦いに身を乗り出すのはきついだろう。歯磨きしたらえずくし、枕は少し臭い。さすがにアラサーは無理なのか……いちおう、ILOは年齢による就労の差別を禁じているが……

わかったよ。主人公や共に戦う仲間になるのは少し諦める。

だが、まだ可能性はある。俺の年齢や経歴から導き出される可能性は一つだ。
主人公にヒント残す研究者。これだ。何かに気づくんだけど、味方組織に情報を渡す前に襲撃され、それでも大事なメッセージを守り通し死ぬやつ。末期の言葉は耳打ちで。純粋に物語を動かすためのコマ。

わかったよ、世界の意思。たしかに、命を失うのは辛い。だが、仕方ない。好奇心に己を捧げて生きてきたのだ。ここで俺は本来、知ることのできない"真理"に気づいてしまうのだろう。そして、それをメモに残す。だが、それを感知した"敵"に襲撃され……
真面目な研究者路線か、マッドな路線か迷ったが、マッド寄りで調整して、興奮しながら展示物とかを読んで、写真を撮る。わかったぞ、わかったぞ、とニヤニヤしながら(何も分かっていない)古墳を後にした。これで撒き餌は完璧だ。よし、"組織".の監視網に触れただろう。

もうめちゃくちゃ疲れたし、雨が降りかけていたので、残り一つは諦めた。いや残しておいた。ショートケーキのいちごは最後に食べる派なんだ。嘘だ。最初の方に食べる。

もう足が疲れ果てたし、飽きて酒飲みたくなっていた。バスに乗って帰り、ホテルにチェックインした。

コンビニで買ったビールを飲みながら、手持ちの研究ノートにそれっぽい文字列を書き込み、破ってホテルの机の中に入れておいた。すこしだけ、ワクワクしながら寝た。あとは、夢に出てくるパターンもあるからだ。まだすこしだけ覚醒するのを信じてる。

でも、黒服の中国拳法使い(蟷螂拳)の暗殺者は来なかった。何の夢も見なかった。ただ古墳に行って日焼けしただけ。いや古墳は楽しかったけども……
帰って、古墳近くの農産物直売所で買った実山椒を下茹でしたら、とてもいい匂いがしたから、かじったらキリリと舌が痺れた。すぐに現実に引き戻された。何が"覚醒"だよ。アホか。ヒリヒリした肌と、真っ当な古墳体験と、実山椒だけが手元に残った。まあ、楽しかったしいいか。いい加減大人になろう。こうやって、少しの楽しみを糧に生きていくんだ。

よし、次は由緒ある神社に行って、狐に化かされ……(大量の血痕があり、文字は途切れ、判別できない)

メルヘンハウスに育てられて

多量の本を所構わず餓鬼のように摂取してしまうぼくの業は、メルヘンハウスのブッククラブにより作られたと言っても過言では無い。責任を取っていただきたい。しかし、悲しいことにメルヘンハウスは閉店してしまった。

 

メルヘンハウスというのは、子どもの本の専門書店である。名古屋にあり、1973年から営業を続けてきた。その歴史に数年前に幕が下された。再開を模索しているようだが、どうなるのだろうか。

 

実店舗には、一度か二度ほどしか足を運んだことはない。しかしながら、今まで日本語で書かれた絵本と子ども向けの本がすべて存在するのではないかと錯覚するあの空間がなくなるというのは、損失だろう。悲しい。

 

メルヘンハウスとの繋がりを形成したブッククラブも同時になくなるのだと思うとさらに悲しい。母がぼくのために、ブッククラブという選書配本サービスを取っていたことが、本を求める餓鬼道に落とすいくつかの要因の一つになっているのは間違いない。あれは絵本の読み聞かせという受動的な経験から、読書という能動的な経験に切り替える際の補助輪となったように思う。定期的に送られてくる選書は、肉親が選んで読み聞かすような与えられるものという読書経験と、自らでグーテンベルグの銀河系に飛び込みトレジャーハンティングをするような能動的な読書経験の中間をなしていた。少なくとも自分にとっては。

だからだろうか。小さい頃は餌を待つ雛鳥のように、配本されたものを着くや否や貪り読んでいたように思うが、次第に、毎月送られてくる本を選り好みするようになっていた。

 

いつまで母が続けたかの記憶はないが、ヤングアダルトと呼ばれるカテゴリーの物が届くようになって顕著に読まなくなっていった。ヤングアダルトというカテゴリーに含まれる本がどこか自分と合わない。そして、押し付けられているように感じるようになっていった。江戸川乱歩山田風太郎といった「猥雑な」「大人の」小説を読み始めていた思春期のクソガキは、ヤングアダルトという言葉に込められた、「思春期のあなたたちも大人として扱ってあげますよ。でも本当の大人じゃないんだから、健全に限ります」というダブルスタンダードパターナリズムを鋭敏に感じ取っていたのだろう。背伸びしたがりなところとか、パターナリズムへの反抗的な気持ちは、今の自分をどこか拘束しているように思う。とはいえ、もはやそうしたパターナリズムを行使するような年齢にもなっているのだが。

 

この押し付けられていると感じるというのは、なにかしら外的なものが内的なものへ影響を与えようとしてきた時に感じる抵抗を核としている。またこの抵抗の核が可能になるのは、内的なものが形成されたことによるだろう。

要するにだ、徐々に、文学青年とは言い難い、陰気な内面を持つ生物が形成されていったのだ。読んできた本の束が、次第に自分自身の自我そのものに結び付けられていく中で、与えられた本を吟味していくようになったのだろう。その趣味嗜好は、おそらくアイデンティティと呼ばれる何か得体の知れないものと緊密に結びついていることも想像に難くない。

 

陰惨な自意識と成り果てたあとに、「書斎のポトフ」という開高健らの鼎談集を読んで、日本の児童書の悪口を言いまくる作家と批評家に喝采をあげたのも、こうした内面の核が悪さをしたのに違いない。むしろ、そういう天邪鬼を形成するのに、柔らかな良い児童文学やヤングアダルトの選書は影響を与えたんだろう。

 

消えゆく媒介者として、選ばれ運ばれてきた児童書は、自分にとってなにがしかに重要な役目を果たしてくれたのだけは間違いない。 

 

 

 

迷う

道に迷うことが好きだ。大学院の博士後期課程という当て所ない迷い道にいることを自己肯定するための修辞的な比喩表現ではなく、わけわからん場所で、適当に道を進んで、どこにいるのかわからなくなり途方に暮れる感覚が好きだ。
私はよく道に迷う人だ。これもまた比喩表現ではなく、スマホが便利になるまで、いろんなところで迷っていた。手ひどく迷ったのは何回かあるが、小学六年生の時、自転車で地元の半島を一周するという大冒険をした。あと数キロというところで、曲がり角を一つ間違え、私は全く道がわからなくなった。パンパンに張った足、人通りは減り、緑が濃くなり、人工物は道路と鉄塔くらいしかない。どう考えても道を間違えていたことに気づいた。そこから引き返そうと、来た道へ戻る。体感では1時間、実際には数分ほど漕いで、戻っているかどうかも全くわからなくなり、心細くなった自分は両親に泣きながら電話をかけて、迎えに来てもらった。間違えた地点はすぐそばで、あとほんの少し頑張れば軌道修正できて、自分の足で胸を張って凱旋できたのかもしれない。しかし、冒険の旅は途中で終わりを告げた。父親から煽てられておこなった自転車小旅行は、中学生になる前の子供から少し大きくなるための通過儀礼のような役割を果たすことをおそらく親の狙いとしており、自分はその儀礼に失敗し、子供に閉じ込められる羽目になり、今もまた「大人」になり切れないのだろうか。弟3人は簡単にクリアしたその儀礼について、今でも父親から、迷った場所の近くを通るたびにその時のことを揶揄される。だからだろうか、私は迷うということが嫌いではない。
迷うとはどういう経験か。少なくとも自分にとっては、知らない場所で、あるいは知っていたはずの場所が相貌を変えたようによそよそしくなることだ。特に良いのが、逢魔時、昼と夜の境目の時間である。どこに着くかわからない心細さを抱えながら当て所なく放浪していくなかで、真っ赤な夕焼けに照らされる。いつ休めるかわからないまま酷使された足が鈍痛を覚えてゆき、休みたい気持ちを訴えてくると共に、赤い光に照らされた道ゆく人がみな異質な他者に見え、空恐ろしさから足をさらに酷使させていく。次第にそうした人間もまばらになり、夜の帷に包まれる。世界は色をなくしていく。暗くなると、むしろ道をゆく人がいかに自分の精神を安定させていたかわかるようになるだろう。心臓の鼓動が速くなり、嫌な汗が流れるようになってくる。あなたは、ようやく見つけた郊外の灯りに、まるで誘蛾灯に誘き出された羽虫のように突進していく。そんな経験は、どこか脳の奥底にある自分の知らない経験を呼び起こすような不思議な気持ちにさせる。いまでも、スマホを放り出して、財布に最低限の金しか持たずに迷いたいと思っているが、時勢が時勢なので遠慮しているものの、とはいえ、迷うことを娯楽として楽しめたのは、最後に帰ってきているからだ。何度も迷ったことがあり、遅刻して迷惑をかけたことも一度や二度ではないし、あの小学生の時のように、帰れないかもしれないと強い恐怖を覚えたこともある。帰れなければ、あの赫光のなか、どこにも辿り着けないまま消え去っていたかもしれない。そう想像すると、恐怖とともに、どこか甘美な気持ちも押し寄せる。私は迷いたいのだろう。あるいは、もうここに帰ってきたくないのかもしれない。

 

バチバチ

今更だが、バチバチという相撲漫画、いや少年漫画の大傑作がある。いや、あった。それは突然終わった。打ち切りではない。雑誌の休刊でもない。

であればどれだけよかったことか。終ったのだ。永遠に続きは描かれない。作者急逝による絶筆である。

 

連載の当初から追ってきた漫画が突然終わったときの虚脱感はすさまじかった。それも、次週から中学生から続いた主人公鮫島の総決算が見られるはずだったのだ。それは、漫画自体のフィナーレでもあり、彼のいのちの一滴を絞り終えた最後。「最後の17日間」と題された最終部は不穏な結末がほのめかされ続け、同時にどこまでも熱い盛り上がりを魅せていた。予期される終末。待っていたのは「神」との結びの一番。速度が上がり、どこまでも読者の感情は盛り上がっていた。

 

突然の絶筆。行き場を失った感情はどこへ行ったのだろうか。無慈悲に作動する慣性の法則は、読者を前方に向かって投げ出した。投げ出された虚空のなかで、われわれはこの物語をどう思えばいいのだろうか。わからない。ともあれ、結末は委ねられてしまったのだ。応答はない。できない。死ぬとはそういうことだろう。

 

突然の喪失は強い痛みを与える。しかし喪失は色あせる。経年による消尽は記憶にも起きる。かつてあったが急に失われたものを語り、書き起こすことは、一つの喪失への抗議であり、痛みを現勢化することでもある。そして同時に、放り出されたあてどなき自身を繫留し直すことでもある。喪とは、儀礼とは、そういうものだろう。応答亡き応答を仮構し、痛みを書き直す。今は亡き良知力の「向こう岸からの世界史」に収められた架空のプロレタリアとの対話は、そのようなものとして理解する必要がある。そして、そうしなければ痛みは癒されないのだろう。痛みを悼むこと。ダジャレのようだが、必要な事のように思う。

 

喪は、直接の知己を得ていなくとも、仲良くなくとも、必要だし可能だ。特に現在はそうだろう。死の近辺で更新の止まったSNSは、まるであたかもすぐに語りだしそうな相貌を帯びる。一種の不死性を帯びてしまう。死なない形象を悼むのは困難だ。悼むのは、死んではいないと否認する無意識を納得させ、彼は死んでいるんだと、そして私もまた死ぬんだと納得を繰り返していく作業に他ならない。

 

バチバチの喪はまだ終えられたと言えないかもしれないが、その死を受け入れることが数年経ってようやくできるようになったような気がする。とはいえ、何度も立ち止まって悲しんでいいのだ。死はそういう悼にも開かれている。

本当に困っている人は良いんだけど……

社会的なものが、ー多くはヘテロ健常者男性に限られようともーさまざまな仮象を経由して、見知らぬ同胞との連帯を可能にしていたのであれば、それを鏖殺してきたこの国で、他者との連帯は、相互監視による危害の抑止にまでおしとどめられよう。相互監視による行動の調整は、すべきではない行動をした逸脱者への社会的制裁とセットとなっていて、しかるに、サンクションを恐れて外面は秩序だって行動する人の群れができるわけだが、そこに秩序に服せない人への配慮はなく、魔女狩りは再来することとなる。秩序に服せないことは、やむにやまれないだけでなく、そもそも戦時下というのは端的に比喩であって、われわれは国家の要請に従う義務はなく、本当にオーバーシュートを押し留めたいのであれば私権の制限を所定の手続きに従いおこなわなければならない。にもかかわらず、空洞化した社会の名のもとにこのような「要請」をおこなうことの醜悪な点は、本当に必要な人とそうでない人という緩い境界を、どのような基準かもわからぬまま本質化し、そうでない人への弾圧を社会の名のもとで正統化することである。こういったときに出現する、一切の責任追及を免じられた本当に困っている人なる言葉は、ズルをしている人を指弾するために使われると相場が決まっているわけで、彼ら、あるいは我々は、感染者として徴つけられて魔女と化し、不要不急にもかかわらず享楽を貪ったとして、非国民として、万死に値すると罵られよう。俺はコロナだとのたまい、ウイルスを撒き散らした男性の顛末をわざわざニュースで取り上げ、その死を見るに自業自得や因果応報という言葉と、水戸黄門じみたテンプレを感じたとしても誤りではない。勧善懲悪の劇を素朴に楽しむときと、感染者を隠れた享楽ゆえの自業自得か、純然たる被害者かと分けて、後者を守るという名目で前者を指弾するときは、同じ脳味噌の部分が刺激されているに相違ない。とはいえ、メディアを問わず行われる祝祭じみた指弾の饗宴は、ポジティブな感情なく行動を規制させられる人々のストレスに対応した娯楽になっているのもまた確かで、知識人がこれを蔑もうが問題は変わらない。だとすれば逃げ道はいずこ?

 

何かにつけて軍靴の音が聞こえると警鐘を鳴らすサヨクという戯画は、いまや誤りではなく、今やなし崩し的に戦時下になっている。比喩は実体化し、人々は総力戦下での生をいつの間にか強いられている。オリンピックが開かれないことがまさに戦時下と重なり合う中で、欲しがりません勝つまではの標語が、がらんどうになったスーパーを前に虚しく響き、バーチャル化した闇市で商人たちは放縦に動き回る。時は戦時下なれど、いずれ戦争は終わる。そして、われわれは戦後を迎えなければならない。国際秩序の変化も含めてまっさらに変わってしまったという感嘆を与えた戦後を。この世界がどう変化するかは未だわからないとはいえ、焼け跡からはじまった戦後思想の読み直しが急務なように思われて、とりあえず書棚の藤田省三に手を伸ばすことからはじめた。この戦後を今から考えるために。つまるところ出口を見出すために。

笑われることも笑わせることもなく--映画JOKERについての試論⑴

「笑われてやるんじゃなくて、笑わしてやるんだ」という深見千三郎の芸人としての生きザマは、オイラの生理と感性に合っていて大いに感化させられた。

ビートたけし,1992,『浅草キッド新潮文庫版)

 
かつて多くの喜劇役者、コメディアン、作家を輩出した浅草の由緒正しいストリップ劇場に、大学を中退した親不孝者のフーテンが足を踏み入れるのは1972年のことだった。エレベーターボーイからはじまった彼のキャリアだが、粋でモダンな座長、深見千三郎に師事することで、コメディアンとしての才能を開花させていくだろう。漫才師になって浅草フランス座から飛び出てしまうことで師から勘当されたものの、偉大な師への敬慕は、自叙伝的小説たる「浅草キッド」に描かれている。冒頭引用したように、「芸人は、笑われてやるんじゃなくて笑わしてやるんだ」という一言で集約された芸人論は、彼の漫才にも大きな影響を与えたように思われる。漫才は芸ではないと深見が考えていたにしろ。さらに言えば、この生きザマは、多かれ少なかれ現在の芸人や、人を笑わせる職業の人びとにも(実現できているかは別として)重要なものだろう。というのも、笑わせることと笑われることの間にある大きな断崖に、最も意を払うのが芸人だからだ。というよりは、この断崖に目を凝らし、笑わせることを指向し続けることで、人は芸人になれるといった方が良い。「浅草キッド」は、ビルドゥングスロマンであり、その主人公たる彼は笑わせる人=芸人になっていった。では、jokerの主人公アーサーは、コメディアン=芸人になれたのだろうか。

 
言うまでもなく、フーテンから芸人になり、さらには映画監督としても世界的名声を得た男の名は、ビートたけし北野武という。バラエティや、たけし軍団での殿としてのふるまいとは別に、ツービートの漫才を見てみると、そのスタイルの攻撃性とともに、明らかに彼の顔面は笑っていないことに気づく。また自らの映画に主演する際も、彼の顔の印象はどこか不気味で、笑顔とは程遠い。おそらく、笑わせるときに笑うことは不純である。自らが笑って仕舞えば、起こした笑いを、自らの芸のためだと言うことができない。というのも、日常であるように身体動作としての笑いは感染するからだ。われわれは「意図せずに」笑ってしまうことがある。笑わせること/笑われること、そして笑ってしまうこと。これがJOKERを貫く、重要な一つの主題であることを論じていくことが試論の目的だ。さて前説は終わり。場は暖まってきたか。 悲しい喜劇の話をはじめるとしよう。


ジョーカーというバットマンシリーズにおける最大のヴィラン誕生の物語として描かれた本作は、道化として働いていたアーサーが、仕事、医療の公的扶助、母親などを順繰りに失い、世界からの悪意に翻弄される中で、道化とコメディアンの奇形的結合体=ジョーカーになり、都市騒擾を巻き起こすシンボルとなる様を活写している。ジョーカー誕生の物語として、つまりバットマンシリーズのスピンオフとして作られたとはいえ、作品として独立して楽しめるものとして仕上がっている。とはいえ、傑作の評と反して、筆者の周りでもJOKERを楽しめないとの声が聞かれた。実際、娯楽として楽しめないことも十分理解できる。劇中を通してただただ悲惨に巻き込まれるアーサーの姿に、陰鬱さのみを読み込み、救いのない物語として受け止められても致し方ないほど、ひたすら彼はかわいそうである。しかし、物語の後半にアーサーが、人生は喜劇だとわかったと言う時、悲劇もまた喜劇であることが明らかになる。悲劇として感受することは誤りではないが、正しくもない。悲劇はまさに喜劇でもある。

 

本作の監督が「ハングオーバー」の、つまり最高のバカ映画の監督であり、フィルモグラフィを見れば他にも多数のコメディ作品を主に撮っていることをあわせて念頭に置くならば、悲劇として陰惨さを演出されたシーンは、演出を変えれば、あるいは取り払えば喜劇の一シーンとしても成立するようになることがわかってくる。具体的にいえば、本作冒頭。アーサーが道化として楽器屋の閉店セールで働いているとき、ヤンキーから看板を奪われ、取り返しに行くと路地でボコボコにされるシーン。あれは、道化として走り回るスラップスティックである。作中時折出てくるドタバタとした追いかけっこは、音楽を変えてしまえば、その瞬間にスラップスティックとして成立する。他の「陰惨」なシーンにおいてもほとんど同様だろう。道化がひどい目にあえば、それは笑えるのである。現代日本のいくつかのバラエティ番組を想起してもらえばよい。身に降りかかった悲惨が強ければ強いほど、それをはたで見ているやつらから笑われるのはよくあることだろう。だから、陰惨さは(嘲)笑われることの陰惨さであり、悲劇はまさに喜劇である。

であればこそ、彼は笑われる側から笑わせる側へと華麗な転身を試みたのではなかったか。では、アーサーはコメディアン=芸人になれたのか?

(続く)

無内容な

論文とかお堅いものを読んで書いたりしていると、頭がカチコチになる。知識は自由をもたらすという信念には同意するのだが、一方で真理を追求することに付随したさまざまな文体に取り囲まれて、すぐに論理的な関係が気になり、ふわふわとした、面白さや気持ちよさを目的とした文章が書けなくなっていく。まあ別に誰に頼まれたのでもないんだから、書かなくても良いんだけど、久しぶりに昔の文章を読んで、懐かしみながら、どこか遠い誰かの書いたものを読むようで、笑うと同時に悲しみも覚えた。これは、エッセイであって、論文でも論考でも批評でもないわけで、必要なのは書くという意志と書くための道具だけだったりする。とはいえ、この意志を持ってくるのが難しい。明晰でわかりやすく、主題を一貫させ、データを元に示すのだ!という声が(実際できているかは別として)頭の中で荘厳に鳴り響く。ゆるーい文章を書こうものなら、その声の主が金属バットを持って俺をぶっ叩くんじゃないかと不安になる。この不安っていうのは、楽しみと仕事のような二分法を前提としていて、文書を書くこと=研究=仕事なのだから、その労苦に不純物をまぶすなどけしからんという心のモーレツサラリーマンによってもたらされているだろう。では楽しみと仕事の二分法を取り払えば良いかというとそう単純にもいかないのが世知辛い。楽しむように仕事をしろという言葉が、基本的に安い自己啓発に過ぎず、仕事終わりにストロングゼロを流し込むのと機能的に大差ないことは明らかだ。それは楽しめ!という強迫を伴っていて、結局働かさせられた苦しみを一時的に麻痺させるドラッグに過ぎないことはもうみんな気付いているだろう。実際麻痺させることに自覚的になれる分だけストロングゼロの方がマシだ。楽しめとかみんな踊れとかいってフロアの中心で指示するやつは、踊ってもいなければ楽しんでもなくて、猛禽のような目でこちらを観察しながら抜け目なく金をポケットから取り去っている。

こんな現代社会のことを雑駁に論じたいわけではないし、正しいなんて思わずに聞いてほしい。大事なのは、ここでもう現れてるような、意味のある文章を書こうとする嗜癖は、体の奥底に沈殿していて、たまに本当に嫌になってしまっているってことだ。この嗜癖から本当に自由になる時は、恐らくないのだろう。そして、労苦との二分法を超えた「楽しさ」もないのかもしれない。ただ、こうして夜勤の休憩中にだらだらと書いていると、なにかを忘れたような、そして同時に何かを想起させるような気になる。頭がフッと軽くなるような感覚。書くことが支援であり治療でありうることを、どこかで読んだ気もするが、この気持ちよさはもう少し手前の、整体やマッサージに行った時の何かほぐれたような感覚が近いのかもしれない。とかく、無目的に文章を書いてみることは健康に良いのだ、とそう大見えを切って、シニア向けにパッケージングして売り出せば、市場も急拡大で、ノンストップライティングの専門家として、MK法でも捻り出して商標登録して、生きていこうかしらと思う。それは冗談だが、まあ悪くない着想だから近いことはすでにやられているだろう。市場を出し抜くのは容易ではない。ああ楽に金を儲けたい。こういう楽な方に楽な方に流れる精神をギリギリのところで制御しているのが自分の中にあるアカデミズムの規範だから、もう少し固くなった方が良いんだろう。今の自分はおそらくサナギの状態で、外からは固く見えるけども中はぐちゃぐちゃで、きっといつか羽化し、立派な博士様になり、故郷に錦を飾ろうとして、眩い篝火に突っ込んでいって死ぬのだ。言いたいことを簡潔に示せとまた心の閻魔様がいうもんだから仕方なく答えるとすれば、楽して金が欲しいし、論文を書いて研究を生業にしていきたい、この二つを総取りしたい。しかし煩悩を振り払うのはまだまだかかりそうだし、羽化せぬまま自らの体を腐らせるようなことだけはないようにするには時折無内容なものを書きつつ、体を整えていく必要がある。ちょうどこの文章のような。